昔のことは覚えている

認知症の人が徘徊をする理由(2014.7.16)

 認知症になった高齢者が徘徊をして、交通事故にあったり行方不明になったりという事件?が日常的に起きるようになってきたなと感じています。

 統計的な数字は分かりませんが、長寿になり、高齢者が増え孤立する人が増えれば、必然的に認知症も増え、その結果徘徊も増えると思われます。

 私は普段家にいることも多いのですが、時折災害放送で行方不明者の呼びかけが行われいるのを聞きます。その頻度は、この地域に越してきた20年前に比べると明らかに増えています。

 家族が同居している場合は、四六時中観察しているわけですが、家族にも家族の生活がありますから、本来ならもう少し行政が手を差し伸べるべきだとも思えます。

 しかし、社会保障費の増大や国家予算の厳しさを考えると、これもまた家庭内の自助努力によって支えるしかないという現状にならざるを得ない部分もあるようです。

 そう考えると、いたずらに長寿を追い求める今の医療体制にも、少しばかり不信感を覚えてしまいます。人間の一生、特に晩年はどうあるべきかということを、倫理的に考えないといけない時期に来ているのかもしれません。

 一方、認知症を予防することについては、かなり啓発活動も行われているようで、団塊の世代前後の方は、自分の健康についてかなり意識をして、日ごろからウォーキング等に取り組んでいるようにも見えます。

 そういった効果が今後統計数値にうまく表れることを願っていますが、こういった記事を書いていて、そもそも「なんで認知症は徘徊を繰り返すのか」ということが気になってきました。

 ネットでもそういった疑問を感じている方は多くいるようで、答えの方は

・ 現在の生活環境(場所や人間関係、足りないものがある)に何らかの違和感があったり、何かやらなければならないこと(仕事や家事)を思いつく

・ ということが出発点になり、昔の安定した環境を求めて、誰にも断らずに出かける(断ると引き止められるので)

・ 単純に近所を一周して帰ってくることもあるが、出かけているうちに自分の居場所を見失ってしまうことがある

・ さらに歩いているうちに、出かけた理由すら忘れてしまう

・ その結果、何のために歩いているかも分からなくなる

 悪循環といえばそれまでですが、なかなか回りの人間には理解できない行動のように思えます。

 よく聞く話では、昔のことは覚えているが最近のことは覚えていないといいますから、脳の奥深い部分の指令に従って情動的に行動を起こしたものの、脳の表面部分にある、記憶、理解、思考といった分野が衰えているので、歩いているうちに何をしているのか分からなくなってしまうということのように思えます。

 ではどうすればいいのか?というのが問題ですが、それが分かれば苦労はしないというのが、今まさに認知症の現場で働いている方たちの本音だと思います。


表紙に戻る 認知症 片足立ちで20秒