大往生したけりゃ医療と関わるな?

連れの闘病生活(2012.2.14)

 今日の毎日新聞朝刊3面下段に「大往生したけりゃ医療とかかわるな」という本の紹介が出ています。サブタイトルとして「死ぬのは「がん」に限る。ただし治療はせずに。」と書かれていて、思わず自分の連れのことを思い出してしまいました。

 私の連れは、結婚後私が風邪をひいて咳き込んだりしていてもまったく平気で、健康体の見本のような感じでした。ただし食べ物には気をつけていて、自然食を目指していました。

 ところが46歳の春に突然体調が悪化。最初は単なる過労かと思っていましたが、やたら水を飲んでトイレにいくと言うことが繰り返され、これはさすがにおかしいと感じ医者に行くと、「急性腎炎」かもということで即入院。

 入院先でさらに精密な検査をしたところ、原因は腎臓ではなく血液だということになり大学病院に転院。そこで下された診断が、当時はその名前すら聞いたことがなかった「悪性リンパ腫」という病気です。

 血液中に異常なリンパ球が出来る病気で、これが腎臓に影響を与えていました。当然血液中のリンパ球ですから、通常のガンとは違い、放射線療法では対処できないということで、異常な増殖を抑えるために抗ガン剤の投与が始まりました。

 この辺りの顛末は、「悪性リンパ腫との闘い」というホームページにまとめましたが、結局闘病生活は2年間に渡り、本人の生きる気力よりも病魔の活力が強く、それを押さえ込むためにさらに過剰の抗ガン剤を投与

 その結果は正常なリンパ球や白血球までがボロボロになり、結局肺炎で他界という悲惨な結果になっています。

 私自身は、そのことがきっかけになり、その後1年間フルタイムではたらいたものの、もともとそれほど健康な体ではなく精神的にも追いつめられたため早期退職。

 健康に勝る物はないと感じ、それがこのブログを書くきっかけになっています。

 で、話をもどしますが、連れの場合、病魔の勢いが強かったとは言え、それを完璧に駆逐するためにより強力な抗ガン剤を使わざるを得なかったわけで、結果的にはそれが寿命を縮めています。

 最後の方の治療で、いったん持ち直したとき、より強い抗ガン剤を使って異常な細胞を完璧に駆逐するのではなく、その状態を維持できるような治療が出来なかったのかと今でも悔やんでいます。

 その意味で、冒頭の本の見出しや内容について書かれた目次を見て、この本に興味を感じました。自然死、大往生という言葉について、改めて考えさせる内容かなと思いました。

 ただし、抗がん剤治療を受けなければ、寿命はさらに縮まったはずで、その意味では「医療と関わるな」と単純に断ずることは間違いだと思っています。



人生の最後


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