最期を迎えるとはどういうことなのか?

健康不安を煽って、生きる意欲をくじく?(2016.7.8)

 高血圧関連のニュースがネット上に出たときは、なるべく読むようにしているのですが、ともかくものすごい数のニュースがあります。大半は高血圧は危険、死亡率を高めるので早めに治療をという趣旨のものですが、ともかく高血圧さえ退治すればよいというニュアンスを感じます。

 私の感覚では、人が最期を迎える原因は様々なものがあって、その中の一つに高血圧若しくは高血圧を原因とした病気が関係するという事だと思いますが、では高血圧は克服して悪性腫瘍になって幸せかと言えば、そりゃおかしいだろうという事になります。

 63歳になって、改めて最期を迎えるとはどういうことなのかという事を考える機会が増えています。最後を迎えるというのは、基本的にそれが最初で最後の経験ですから、その時のことを予想するしかないわけですが、高血圧から動脈硬化となり、狭心症や心筋梗塞を発症する場合と、悪性腫瘍でX線やら抗がん剤治療で戦う場合とどちらが良いのか?

 もちろん両者を自由に選択できるなんてことはないはずですが、ともかく高血圧さえ治せばよくて、悪性腫瘍でよく言われる生活の質(QOL)まで考慮した記事は少ないように思います。

 とはいうものの、高血圧を克服し、悪性腫瘍を克服し、認知症を克服し、肺炎等の感染症を克服するという事が長寿につながることは理解しています。

 しかしそうやって得られた長寿の世界で何ができるのかなと考えると、単なる生物の一種類として人間を考えると、なんか変だなという気もします。

 たまたま人間が意識や考えを持つ動物であって、「健康で長生きしたい」と思うからこそ、様々な医療が生まれているのだとは思いますが、生きがいや生きる目的もないのに、ただただ長寿長寿と言っても生物としてどうなのかなという気もします。

 とまあ、降圧剤を服用してもなかなか血圧が下がらないとき、ちょっと愚痴のような、こういった考え方で自分を慰めたりしているわけですが、まあ60代なら、心臓も軽やかに動いてくれた方が生きていて楽しいことも事実です。

 今日はたまたまネットのニュースで、塩分は1日3gで充分と書かれた記事を読んでいるのですが、どうやったら1日3gの食事を用意できるのかは書かれていません。

 塩3gというと、小さじの約半分かなという気がしますが、これを3食に分けると1食分1gです。私は野菜炒めを作るとき、だしは入れますが塩は入れません。それでもだしには塩分が含まれているはずです。

 よく食べるパスタの青の洞窟シリーズには塩分量が書かれていて2〜2.5gとなっています。という事は1食たべたら、もう他に塩分は必要ないということです。

 著者の意図は必要以上に塩分を取るな、人間にとって必要な塩分量は3gである、という事を強調しているだけなのかもしれませんが、高血圧患者が読むと、不可能なことを要求されているように感じます。

 健康食品のコマーシャルでも感じることですが、様々な体調不良の要因を次々と上げて、不安を募らせて何かを買わせるという手法が多いように思います。

 塩分控えめはもちろん意識しないといけませんが、そこだけに汲々としていると人生を楽しめないなあという気もします。



人生の最後


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