私は生物や地学という分野で進化の話を授業で取り上げていますが、自然界にある無機物から、雷等のエネルギーで有機物が生じたということは確率的にあり得るような気がします。またもしかしたら雷ではなく、深海で指摘されている熱水鉱床付近の高熱で化学反応が進み、有機物が生じた可能性も理解できます。
しかしそういった有機物が集まってアミノ酸となり、さらにタンパク質となって生命に至る、と言うのがやはり不思議です。生命とは何か、という根源的な問題ですが、我々の健康を突き詰めて考えていくと、最後は生命とは何か、という問題に到達するような気もします。
たまたま出来た有機物が線となり、面となり、さらに泡のようにつながり、その泡の中に他の有機物を取りこみ、さらにその中で化学反応が進み、その反応を進ませるためにさらに外部から有機物を取りこみ、と言うことが繰り返され、やがて泡の膜の成分が他の有機物を取りこみやすい、または内部の不要品を排出しやすい構造に変化し、それが細胞膜の原型になったのかなと思えます。
しかしこの時点では、この泡の膜の内部は単なる有機化学物質の反応の場であって、いわゆる化学実験室みたいなものです。それがなぜ生命と定義されるような形態に進化していくのかよく分かりませんが、少なくともこの泡の膜、将来的には細胞膜になるようなものの重要性は認識できます。
さらにそれらの泡が相互に結合し連結したのか、それとも元の1個の泡が化学反応の末、分裂したのかよく分かりませんが、結果的に泡が細胞となり、それらが連結して多細胞生物が生まれたわけです。
で多細胞生物となり、細胞数がどんどん増えてくると、外部から取りこんだ物質をすべての細胞に平均的に行き渡らせることが難しくなり、そのためそこに管を通して物質を能率的に運搬する必要性が出てきます。
これこそが今現在の我々の口から腸に至る消化器官の原型であり、さらに粉砕吸収した栄養物を運搬するための血管であると言えます。
従って、生命維持という観点から見れば、一番大事なのは食べ物と空気と、それを吸収する内臓諸器官、さらにそこから得られた物質を運搬する血液または血管が健康の原点であるといえます。
であるからこそ、良質の食事を摂取し、それを消化吸収できる内臓を充実させ、汚染物質の含まれていない酸素を取りこみ、それを肺で血液中に取りこむ。
そしてその血液が全身をサラサラと流れ、体内のすべての細胞にきちんと栄養分が運ばれる環境を整えることによって、さらに内臓や肺機能が強化されるという好循環が生まれるような気がします。
と言うことはやはり健康維持のための第一優先課題は、血液の流れを滞りのない、瑞々しい渓流のような流れにするという、ある意味では当たり前の結論に落ち着くような気がします。
健康問題は突き詰めていくと、常に血液の流れにいきつくような気がしているので、自分の考えをちょっとまとめてみました。