キーボードが使いにくい

2019.2.17 

 お茶を飲んで、ちょっと一息つきながら、「何かにつけて時間がかかるし、ともかく何をやるにも不便だな」と思いつつ、高齢になって体のあちこちの動きに支障が出てくると、必然的に動きが緩慢にならざるを得ないんだと改めて認識。

 元気な時にスーパーのレジで会計待ちをしていると、直前の高齢者がレジ係に「××円です」と言われてから、なんとか財布を取り出し、中をまさぐり、さらにレジの機械の金額を確かめ、お札を数えて会計のお皿にのせ、さらに今度は小銭を数え始めるという動作を見て、内心「早くしてくれよ」とつい感じてしまいますが、右手が使えなくなった自分も同様だなと思うと、感情的にいら立つのは良くないなと感じます。

 2年半前に、突如クモ膜下出血を発症し、救急車で大学病院に搬送され緊急手術を経験。と言っても手術中はおろか、大学病院に搬送されたこともほとんど覚えていません。

 術後数日たって目が覚めて家族に、「きれいなお花畑が見えた」と口走ったそうですが、今となってはそれも覚えていません。ただ様々な臨死体験の記述を読むと、死の直前にお花畑を見たという話をする人が多いと言うことらしいので、私もそういった体験をしたんだろうなと思っています。

 ちなみに、では発症直後はどうだったかというと、深夜に突然の尋常ではない頭痛を感じて飛び起きて、息子を起こして救急車を呼ぶように依頼。

 もし息子がいなかったらどうなっていたんだろうという気もするのですが、しばらくして救急車が到着。隊員たちに「症状は?」と聞かれて、「激しい頭痛」と答えて、自分で救急車に乗り込んだところで気絶。

 気を失う直前に、「あ〜もしかしたらこれで終わりか。結構苦しまずにあっさり逝ける場合もあるんだな」と感じました。ということでそこからの記憶が途切れ、気が付いたらベッド上。

 そこからリハビリが始まり、数か月後に退院。しかしリハビリ中から今に至るまで、常に歩行時にふらつきを感じています。当然ながらそのふらつきの程度は月単位や年単位で改善されていて、外見上は今は健康な人の歩きとほとんど変わりません。

 その時も、なるほど、世の中には見かけは健康でも内部に問題を抱えながら生活している人も多いんだろうなと改めて感じました。

 その意味では、身の回りに自分が考えるよりのろのろした動作の人がいても、きっと何か理由があるんだろう、と想像できるようになりました。

 てなことを考えながらお茶を飲み干し、次がいつもの日課のこういったブログの更新作業。いつものパソコン前に座り、スイッチを入れようと手を伸ばしますが、軽い痛みを感じて、慌てて左手でスイッチオン。

 ところがパソコンが起動しても右手でマウスが持てないしクリックもできません。というわけで左手に持ち替えて、中指で左クリック、人差し指で右クリックと言い聞かせながら入力。

 続いて自分が運営しているいくつかのブログの更新作業ですが、いつもは両手打ちでほぼブラインドタッチで入力しているのに、右手が使えないので、実に煩わしい。

 結局、左手と右手の人差し指を使ってたどたどしく入力。かなりストレスがたまります。





調理と飲食が大変


骨折


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