長寿を目指す目的と生命の目的の矛盾

人間の寿命を延ばす意義は?(2012.11.3)

 直木賞作家の藤本義一さんが亡くなられましたね。悪性中皮腫による肺炎だそうですが、1年前の健康診断で肺に水がたまっているのが見つかったそうです。余命1年半と言われ、延命処置をしても半年との診断で積極的な治療(抗ガン剤)は辞退したということです。

 私がこの方を知っているのは、「11PM」というテレビ番組で司会をされていたからです。中学か高校ぐらいだったと思います。いわゆる深夜番組という時間帯で、大橋巨泉さんや愛川欽也さんたちと共に、様々な社会事象やスポーツについてコメントしていたことを思い出します。

 死因の中皮腫というのは胸腔や腹腔に出来る一種の腫瘍で、原因はアスベストが多いようです。ご冥福をお祈りしたいと思います。

 さて、私自身は「悪性リンパ腫」という病気によって4年近い前に48歳の妻を失いました。そのことがきっかけになり、自分自身の健康状態が怪しくなり早期退職。その後健康についていろいろなことをきちんと理解して、自身の健康維持に役立てようと、このブログを書き始めたわけです。

 そんな中で、妻の病状を克明に記した治療記録があったので、早期退職後はそれらを一度まとめホームページの形で闘病記をアップしました。

 しかし文章の校正をするために読み返すと当時の状況がよみがえり、アップ後はほとんど手を加えていなかったのですが、最近ようやく当時の状況に向き合えるような気持ちが芽生え、あらためてこの悪性リンパ腫という病気について調べ直し、それを分かる範囲でまとめ直しています。

 サイトの名称は「悪性リンパ腫との闘い」というシンプルなものですが、今はミトコンドリアのはたらきについて勉強中です。

 でこのミトコンドリアについてそのはたらきを勉強している最中に、何故人は命を失わなければならないのか、という根本的な問題を考えるきっかけになった文章に直面。ちょっと悩みが深まっています。

 というのも生命というのは、特に生殖という視点で考えると、基本的に子孫を残すというのが最大の特徴です。つまり逆に言うと子孫が残れば、後は必要ないという事です。

 事実大多数の生命は、子育てを終えれば命を全うします。ところが人間だけは知識という武器を持ち、自身の寿命を如何に延ばすかという欲求に従い、日夜努力をしています。

 命を大事にすることは優先課題ですが、それが極端に進んで、例えば平均寿命が200歳というような社会が来たら、いったいどんなことが起きるのか。生殖に適する時期が20代から30代だとすると、人間も生物の一種として考えるなら、その後170年も生き続けることにどんな意味があるのか?

 うまくまとまりませんが、なんだか悩ましい問題だなと感じるようになりました。



生殖活動から見た生命


健康寿命を伸ばす


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