妻の急逝と体調不良

再発そして他界

 2007年10月にいったん退院し、これで安心と思っていましたが、医者がその可能性を予言したとおり、翌年3月に再発。再び入院。抗ガン剤の治療が始まりました。再び私も父子家庭生活に逆戻りです。

 一方2008年4月になり、上司が代わりました。私の仕事は昨年からの継続なので、それほど辛くはありませんが、正直なところ昨年までの上司に較べると仕事の処理能力が低く、また部下への気遣いも出来ない上司でした。

 しかし最初の時に較べ、妻の体調は早期に再発を発見したせいか、病院でも元気です。見舞いに行くのも気が楽でした。仕事もまあまあ順調で、精神的に辛いことはほとんどありませんでした。

 ところがその年の暮れ、抗ガン剤治療が終了しかけた頃、体調が急変。なんと抗ガン剤治療による骨髄抑制が強く出すぎて、リンパ腫細胞が無くなる代わりに白血病細胞が出現

 これを契機に一気に病状悪化。言葉に書けば簡単ですが、心配で夜もおちおち寝ていられません。数時間おきに目が覚めたりします。完璧に自律神経の変調です。

 そして年が明けた2009年1月。医者から本人の体力の問題もあり、白血病細胞を根絶するためにはいったん白血球をなくす治療しかないと言われ、またまた強力な抗ガン剤治療が始まりました。

 しかし、低下している体力で強力な抗ガン剤の治療を受けたため、副作用が激しく出現。本人は治るためにはしょうがないと耐えていましたが、その状態を見ている私も本当に辛い時期でした。

 仕事も手につかない状態が続き、午前中仕事、午後病院、帰って家事という訳の分からない時期が数ヶ月続きました。しかしがんばってみたものの、結局本人の体力が続かず、2月に肺炎を併発し他界。まだ48歳でした。

 この間、職場の同僚達は心配して仕事を分担してくれ、ひじょうに助かりましたが、前述した上司はもともと仕事の処理が遅いようで、自分の職務をこなすのが精一杯で、むしろ私がいないことで自分の仕事が増えたことを恨むような節もありました。

 そういった環境の中で葬儀をこなし、再び4月から新年度が始まりました。家の中は今までの入院時と同じですが、妙に静かになった気がします。壁際に遺影を置き、朝晩手を合わせ心の中で声がけをする毎日が続きます。

 そして、もっと出来たことはなかったのか、妻の本心はどうだったのだろうか。今となっては絶対に分からないようなことに思いを馳せ悩みました。

 同時にこの先自分の人生はどうなるのか、ということにも不安が生じました。もともと我が家は健康第一の連れと病弱な私というとりあわせの家庭でしたから、当然私が先に老衰に至り、連れに老後の面倒を診てもらうのだとばっかり思っていました。

 しかしこの先何十年か、子育ても家事も自分一人で行わなくてはなりません。つくづく大変なことになったなと思うと同時に、自分の人生はこの先楽しいことがあるのだろうか、とも考えました。



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