目を閉じて見えるもの

2012.4.5

 ようやく1日を通して平熱を維持できる状態になりました。インフルエンザの最近の治療指針によれば、熱が下がってもウイルスは体の中に残っているので、解熱後でも数日間は自宅待機というのが常識になりつつあります。

 実際私自身平熱にはなったものの、咳止めを飲んでいても間欠的に発作的な咳が出ます。もともと気管が弱いのでしょうがないと思いますが、これではウイルスをまき散らすようなものだなと考え、外出は極力控えるようにしています。

 まあウイルスの立場からすると、免疫力の落ちた絶好の繁殖媒体を見つけたわけで、そこで充分繁殖するつもりが、途中で宿主の「タミフル」という化学的攻撃に遭い、免疫力の増加と共にあえなく敗退。

 残る道は体外に出て新たな寄生先を探すしかない。そのためには宿主の咳中枢を刺激してワザと咳をさせ、その勢いで自分たちの体を空中散布させる、というふうに考えているとしか思えません。そう考えると実に巧妙な生き残り術です。

 もちろんウイルス自体がそのような考えを持っているわけではなく、そのような流れを作ることによって生き延びる方法を遺伝的に獲得しているのかなと思えます。

 それはさておき、前回書いたように暗い部屋で、目を閉じたまま静かに呼吸を繰り返していると、時折ふっと画像が目の前に現れると書きました。

 この画像の現れ方にも2種類あるような気がします。そもそも目を閉じた状態で、まぶたの裏を見ようとしている状態(目を意識して何らかの画像を見ようとしている状態)と、寝るときのように見ることを意識しない状態の二種類があります。

 まぶたの裏あたりを、目を閉じながら意識してみようとすると、私の場合、黒が背景となって様々な色の点がよく見えます。原色系の赤や緑の点と白い点が多いような気がします。

 しかし本当に個々の点がどんな色なのか確認しようとすると、色が付いていると言うことが分かるだけで、色までは判然としません。

 またこの点すら見えず、単に黒い壁が見えたり、サーチライトのような白っぽい光線がよぎったり、何だかよく分からない白黒グレーの濃淡模様が見えたりします。 この状態で画像が見えることは滅多にないです。

 一方寝るときのように見る行為そのものを意識しないと、基本的に何も見えなくなります。寝ようとしているのですから当たり前のような気もしますが、前者との違い(目の位置や視神経のはたらき)がよく分かりません。

 眠るという行為は、視神経の回路そのものを自分で切ってしまう作業なのかなという気もします。これだと一応話のスジは通るような気もします。

 問題はその中間あたりのことかなと考えています。つまり見るでもなく、見ないことを意識するでもない状態ということです。見ることを意識せずに、目の前に展開する画像をそのまま受け入れる、というふうに思えますが、これは私の全くの個人的印象です。



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