他人とのコミュニケーションでストレスを解消(2012.4.26)
結局大きなストレスが加わっているのにそれを認識していなかったり、認識できたとしても解決方法が見えてこない場合にストレスは更に蓄積し、やがて体の変調が始まると言うことです。
ただ私の体験では、体の変調が始まった早期に、それがストレスが原因だと気がついて、そのストレスからきっぱりと縁を切ることが出来れば、立ち直りは早いように思います。
私の場合は、妻の看護と家事と仕事、子育てが絡んだことがストレスとなったわけですが、結果的には冷たい書き方になりますが、妻が亡くなったことから看護の負担がなくなり、早期退職したことにより仕事の重圧からも解放されたということです。
しかしそういったストレスの根元となるものから逃れられない状態が続く場合いったいどうしたらよいのか?ここであらためてストレス解消に戻るわけですが、正直なところ簡単な解決方法はありません。
私がストレスの渦中にいるなと気がついたときも、なんとか時間をとって旅行に行こうと思っても、疲れてその気力が湧きませんでした。
また今日こそ飲み過ぎはやめて節酒しようと思っても、いったん飲み始めると結局「あと少しならいいか。飲まないとやってられないよ」となかなか自己弁護し、酒量は減らせませんでした。
早朝に目が覚めて、「これはいかん」と思い、再び寝ようとしても寝られない。しょうがないから「どうせなら早起きしてウォーキングをして体を疲れさせよう」なんて思っていましたが、振り返ってみると結局朝っぱらからウォーキングで疲れ、仕事で疲れ、家事で疲れ、と疲れを倍増させているようにも思えます。
そうなってくるとストレス解消法を頭で理解していても実践が伴いませんからますます体調は悪化していきます。こういった悪循環がストレスで悩んでいる人の典型的な症状ではないかと思われます。
そんな中で、結局早期退職したとはいうものの、その直前までなんとか精神的均衡を保ち、仕事を続けることが出来た原因というか癒し効果は何であったのかと振り返ると、一番大きいものは他人との他愛ないコミュニケーションであったような気がします。
つまりストレス解消そのものの話題ではなくても、日頃から鬱々として感じていることを話せる相手がどこかにいたということです。それは家族であったり、職場の同僚であったり、場合によってはかかりつけの医師であったり、家庭菜園で情報交換をしあう近所のおじさんだったり、ネットの掲示板であったりしました。
いずれにしても日頃の話題と共に、自分の不満やら鬱屈した神経やら、押さえ込んでいる感情みたいなものを、あちらで少し、こちらで少し、と小出しにしていくことによって、なんとか精神の均衡を保っていたのかなと思えます。
その意味では、孤立することが一番良くないですね。頭を抱えて自分の殻に閉じこもるのが最悪のような気がします。そうなってしまうと周りも迂闊に声をかけられなくなりますから、ますます孤立が深まります。