中古車納車日で思うこと(2013.6.29)
今日は新しく購入した中古車の納車日です。持ってきてもらうとお金が余計にかかるので、午後自分で下取りというか下取りにもならない今の車に乗って取りに行く予定です。
最近は中古車を探すのにも、わざわざ地元の中古車屋さんを回る必要はないようで、ネットでこれぞと思う車を探し、後は自宅近くでその車を売っている店を探し、状況を確認して契約ということで、探す期間がずいぶん短縮されたような気がします。
また車自体もある意味丈夫になり、10年ぐらい走ってもまったく故障が起きない車も多いと思います。我が家の車はやはり中古で購入。購入時は5年落ちで走行距離が5万km。人気のない車種だったようで、車両本体価格が70万ぐらいだったと記憶しています。
その車を8年間乗り、もともと旅行が好きなので走行距離は13万km近くになっています。さすがに昨年あたりからいろいろな装備や部品の不具合があらわれ、バッテリー交換、タイヤ交換、ブレーキパッド交換、ワイパー交換等、地道に交換してきましたが、ここに来てフロントパネルの液晶表示がおかしくなり、さらにエンジン部分からシャラシャラっといったこすれる音が聞こえるようになり、限界かと諦めました。
亡き妻と一緒にあっちこっち行った思い出の車なので、今でもドライブに出かけるときは同乗しているんじゃないかと思いつつ運転をしたりしていますが、そういった思い出も車と共に失われるかと思うとかなり感傷的になります。
日本人の特性なのかどうかよく分かりませんが、動植物はもとより、本来は生命の宿っていない物質にも何らかの生命のような愛着を感じることがよくあります。
それはそれとして車の運命を自分の将来になぞらえると、新車で生まれた車は私のこの車のように平均寿命またはそれ以上の寿命で走り続けることもあるし、ある日ちょっとした運転手の不注意で事故を起こし、早い時期にスクラップにされてしまう場合もあります。
今回の私の車の不具合は、高齢者の体のあちこちに不具合が生じるのとまったく同じだなと言う感触を強く持っています。もちろん持って生まれた体の耐久性の違いもあるのだと思いますが、結局はその後のメンテナンスが車の寿命に影響するなあと感じるわけで、それは人間も同様です。
加齢と共に体のあちこちに少しずつ不具合が蓄積していくわけですが、その不具合に早い時点に気がつき、治すか取り替えることによって健康寿命がのびることになります。
車の場合はドライバーが気がつくわけですが、体の場合は本人と医療機関でしょうか。60歳になって歯の検診とかメタボの検診とか、いろいろな案内が来るようになっています。
本来ならこまめにいろいろな医療機関を受診して、不具合を治していかなければ行けない時なんだろうなと思えますが、一方で現代医療は、必要以上に不具合を見つけ出す能力が高くなっていて、ちょっとした不具合を大袈裟に捉え、検査漬けにして無理矢理病気を見つけようとしているのではないかと不信を覚えるときもあります。
車もそうですが、日常的な点検(体調管理)と適度なドライブ(運動)を続けることが長持ちの秘訣かなと思っています。