ぜんそくの治療あれこれ

 「ネオフィリン」はそれなりに効果がありますが、心臓に負担がかかり、あまり多量の使用は出来ない上、これはあくまで発作を鎮めるための対症療法でした。

 私が喘息で苦しんでいた頃は、喘息そのものに対する医学がまた発達していなかったようで、いろいろな療法が試験的に試されていた時代だったようです。

 喘息を根本的に解決できるような方法はないのだろうか、というのが治療のテーマで、お灸もその一つでした。しかし効果は現れず発作は続きます。

 そんな中で覚えている治療の一つに「マイボツ」という治療があります。当時は幼稚園ぐらいの年齢ですから、マイボツという言葉の意味も分からず、ただ体内に何かを埋め込む療法であるということだけを認識していました。

 最近になって、ふと気づいたのが、「マイボツ」とは「埋没」の事ではないかということです。それまでは単なる医学用語だと思い、調べることもしていませんでした。

 そこで試しに埋没療法、喘息という語句で検索をかけると、なんとそのような療法が実在していることを確認できました。

 どうやら体質改善を目的として、へその緒や臍帯を体内に埋め込むことによって、アレルギー体質が改善すると言われたようです。

 実際の治療では、麻酔をかけたのかどうか記憶にありませんが、かなり大きな注射器が使用されたという記憶があります。この辺の記憶は曖昧です。ただひどく痛い治療だった割には、それほど治療効果はありませんでした

 私の喘息の原因は何か?両親は悩んだと思います。なぜなら両親とも喘息という病気は経験していなかったからです。

 小学生になった頃、血液検査によってアレルギー反応を見つけ出し、いわゆるアレルゲンを特定する事がようやく出来るようになりました。それによって私のアレルゲンは、ハウスダストやダニ、猫の毛などであることが分かりました。 

 その頃私は東京に住んでいましたが、ちょうど日本が高度成長期に入る頃で、あちこちに工場が出来、新たに道路が造られ、車が増え、空気の汚れは激しくなる一方でした。大気汚染という言葉が出始めた頃です。

 空気が汚いということは、ある意味喘息の発作が出やすい、ということに直結します。薬や埋没療法では効果がないと判断した両親は、一大決心をします。

 私が小学校1年の時です。両親の実家は石川県で、そこにはまだ私の祖父、祖母が健在でした。祖父祖母は農家で、空気は清浄です。そこで数ヶ月生活させ、様子を見ることにしたようです。

 私は喘息が良くなるかもしれないと言い含められ、夏休みぐらいから良く年の3月まで石川県で過ごすことになりました。自然に囲まれて生活すれば、健康にも良いだろうという両親の判断だったと思います。

 実際石川県での生活中、激しい発作に見舞われたことはほとんどありませんでしたので、この転地療法はある意味正解だったと思います。それだけ東京の空気が汚れていて、また部屋の中にはハウスダストが舞っていたという結論になるようです。



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