ぜんそくの新しい治療法

 さて、小学校1年に復学した私ですが、春先と秋口の季節の変わり目にはやはり喘息が出ます。一方、ちょうどその頃から喘息への治療方法がいろいろ新しく開発されたようです。

 当時の家から歩いて20分ぐらいの所に大きな病院が出来、そこの小児科に喘息に詳しい医者がいると言うことで、毎月のように通い始めました。

 母親と共に医者に行き、診察を受け、先ず「吸入」という治療を受けました。昭和35年前後の治療だと思います。これは電子レンジぐらいの大きさのガラス製の機械から放出される蒸気を吸い込むというもので、この蒸気の中に薬剤が含まれていたのだと思います。

 しかし薬剤の名称は不明です。また効果があったかどうかも記憶にありません。というかどちらかというと効果がなかったような記憶しかありません。

 そのためかどうか分かりませんが、しばらくして治療方法が変更になりました。正直なところ、この頃は何とも思っていませんでしたが、今思おうと喘息治療の最先端被験者になっていたように感じます。

 それはそれとして、全然治療とは関係ありませんが、診察を母親と一緒に待っている時間に、待合室の片隅にある長いすに座って食べた、小さなガラス瓶に入ったヨーグルトの白い色と甘酸っぱい味を、今でも妙に懐かしく思い出します。

 さて、私の住んでいた家から見て病院は南西の方向にありました。病院に向かうとき、家々の影から富士山が見えていたことを思い出します。小学校1年から高学年に至るまで、毎月のように病院に通いました。

 吸入の次に行われた療法は、左腕の上腕部の外側の皮膚表面にメスを使って、皮1枚の厚さで切れ込みを入れていく方法でした。皮一枚を鋭利なメスで切っていくだけなので、それほど痛くはありませんでした。

 切れ込みの長さは1本が5mm程度。それを3cmぐらい並べて切っていきます。さらにそれを5段ぐらい繰り返すので、上腕部の筋肉の上に3×5cmの傷だらけの切れ込みが入ります

 血がにじみますが、それほど多くは出血しません。切る方も皮1枚ですから職人芸が必要だったと思います。切り終わったらそこに薬剤を塗り、細いガラス棒で全体をならし傷口から薬剤をしみこませるような療法だったと思います。

 このとき使われた薬剤がなんであったかはさっぱり分かりません。そしてその療法が効果を表していたのかどうかもあまり覚えていません。ただ、成長と共に発作の回数が減り、体力がつくと共に、一晩中布団の上に座り込んで肩で息をする、というような激しい発作は減っていきました。

 それでも学校では体育はほとんど見学。理由があるのでしょうがないと思いますが、成績は5段階で、いつも1か2でした。たまに体調がよいとき走ったりしましたが、当然クラスメートと比較しても体力差は歴然としていたので、この評価ややむを得なかったのかもしれません。

 ただ今の時代のように、周りの子との比較だけでなく、その子の体力を考えてその子なりにどのくらい努力しているか、ということも評価に入れて欲しいな、と子供心に思いました。

 ちなみに今私は仕事が教員なので、評価に際しては、自分の経験を踏まえた評価をなるべく取り入れるようにしています。



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